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【舞台はここに】灰田勝彦「南海ホークスの歌」 なんばパークス(産経新聞)

 ■「グランド」の記憶 世代超え

 プロ野球開幕当初、「今年の日本シリーズは関西対決やぁ!」と叫んだファン(特定の…)は多かったろう。セ・パ2リーグに分立して六十余年。関西のチーム同士で日本一が争われたのは、「御堂筋対決」などの名称で呼ばれた昭和39年の阪神Vs南海だけだ。

 御堂筋対決でも歌われた『南海ホークスの歌』は昭和27年に発表された。冒頭に出てくる「グランド」とは、今はない大阪球場のこと。作詞・佐伯孝夫、作曲・佐々木俊一、歌うのは灰田勝彦。前年公開の映画「歌う野球小僧」に主演した灰田が歌ってヒットさせた『野球小僧』と同じ顔ぶれによる応援歌だ。

 南海ファンの間では、「応援歌を歌うと途中で『野球小僧』になり、『野球小僧』は応援歌に替わる」と言われるほど、2つの曲の旋律は似ていた。同じスタッフによるものなら、それも合点がいく。

 「当時の資料を調べると、映画のヒットにヒントを得た南海側が、応援歌制作を依頼したようです。明るく、のびやかな灰田さんの声が、ファンに定着する大きな要因になったのでは」

 南海を中心にパ・リーグの歴史をまとめた平成15年の著書「南海ホークスがあったころ」(5月に文庫化の予定)の執筆者の一人、関西大学社会学部の永井良和教授(大衆文化論)はそう分析したうえ、意外な事実も明かす。

 「実は何らかの事情で、レコードは一般発売されておらず、3千枚が関係者に配られただけ。現代のようにCDがミリオンセラーになったわけでも、テレビやラジオで大量に流されたわけでもないのに、球場では世代を超えたファンが合唱できた。楽曲の広がる伝播(でんぱ)方法としては、極めて異例です」

 御堂筋対決を制したときはもちろん、昭和63年に球団が去ってもファンに歌われた名曲だ。

 子供や男たちが熱狂した大阪球場は、球団身売り、福岡移転(ダイエー↓ソフトバンク)後、住宅展示場をへて平成15年10月、複合商業施設「なんばパークス」に生まれかわった。女性や若者を中心に年間で2900万人が来場する。

 その2階に、意識していても通り過ぎてしまいそうな御影石製のプレートが設置されている。この真下に大阪球場の本塁とマウンドがあった。

 9階に上がれば、「南海ホークス メモリアルギャラリー」がある。日本シリーズのチャンピオンフラッグや杉浦忠監督のユニホーム、門田博光選手の2千本安打達成時のバットなど26点が展示され、試合のVTRも流されている。

 南海電鉄総務部の担当者は「ここに大阪球場があったということを残しておきたい」という。

 8階の円形劇場には、外野席の雰囲気を漂わせる木製ベンチが階段状にしつらえてある。近所に住む子供たちが走り回り、ビジネスマンが、つかの間の休息を取っていた。

 初めて南海の公式戦が開催されたのは昭和25年9月16日。緑の軍団が汗を流したその場所は60年後、喧噪(けんそう)から一瞬だけ抜け出せる緑に囲まれたオアシスになった。(伊藤洋一)

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【メモ】野球以外の大阪球場

 パークスの屋上庭園には、ゆかりのある著名人のアルミ製手形が20体、設置されている。府立体育会館での大相撲春場所で、16年から3連覇した元横綱・朝青龍関、なんばグランド花月を本拠とする吉本興業の落語家・笑福亭仁鶴…。

 その中に交じって、歌手・西城秀樹のものも。西城は昭和49年から10年間、球場で屋外コンサートを行っていたのだ。ほかにもマイケル・ジャクソンやマドンナ、尾崎豊にサザンオールスターズがライブを開催。球団移転後には劇団四季による「キャッツ」も上演された。

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 歌舞伎や小説、音楽…。さまざまな作品に登場する舞台の“今”を訪ねます。

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by 6zlx8cj5ak | 2010-04-14 12:37
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